「仕事」とは何か全体に公開
2007年11月05日03:41
最近、「仕事」とは何だろう? と考えています。
次の 2つを考えた場合

 (1) (報酬の出元である) 所属組織に対する価値の提供

 (2) 人類社会に対する貢献

ここで、次の 2命題のどちらも真であれば、話は簡単。
(図「資本主義の超単純化モデル」の状態)

 (命題 a) ある個人について、ある活動が (2) ならばそれは (1) である。
      (e.g. 社会的な活動は会社でしかしていない。)

 (命題 b) (1) は (2) の部分集合である。
      (ie. その会社の活動はすべからく人類社会に貢献する。)

いや、ただ、休日とか夜中に (人類の知識を増やす類の) 研究をしていて、
そういう自分を人に対して説明する際、
「仕事をしている」と表現することが適当なのか否か?
と考え始めてしまったというわけです。
というか、「仕事忙しい?」と問われて、「うーん、仕事っていうか何ていうか...」と
考えてしまったというわけです。

つまり、(1) ではないけど (2) である (と信じる) 活動は「仕事」なのか否か。
例えば、OSS 開発は「仕事」なのか? と。

言葉遊びかもしれません。


今日の社会システムでは、(1) は specific (直接的, 限定的) であって、
(2) ではあるが (1) に収まりにくい種類の活動では、
なかなか報酬を得られない → 食べられない。
つまり、人類社会に確実に貢献しているはずでも、
経済システムに乗っからない活動では食べられない。
(じゃ、社会主義がいいの?)

こう考えると、
現行とは別の、または、新しい貨幣システムの提案 (e.g. 鈴木健さんの PICSY)
というのは、資本主義を基本としつつも、
資本の運動パターンをより良い (と信じる) 形にしよう、という活動だと
とらえることができる?

昨日、Real UNIX MAGAZINE Day にて、SRA 岸田さんが、
ソフトウェア開発とかファッション業界とか、
形のないモノを作り出す類の労働を Immaterial Labor と呼んだことを思い出す。
そこにおけるプロセスでは、
使う側もプロセスの一部 (e.g. Web 2.0 的な user-generated content) であり、
生活のあらゆる場が生産の場であり、余暇と労働の区別はない、とおっしゃった。
ごくシンプルな、個人は労働をもって企業に貢献し、企業が社会に貢献するという
従来的、古典的な資本主義の (一面的な) 形とはズレてくる。
人類社会への貢献は、企業内での労働におけるそれに限らないものとなる。

稚内北星学園大学 丸山先生は、よく「多重帰属」とおっしゃっている。
これは、(食いぶちの出元である) 所属組織での労働、
それのみを通して人類社会に貢献するという古典モデルではなく、
複数の組織、コミュニティを通して様々な形で人類社会に貢献していく、
という今後の社会像を表しているととらえることができる?

Google / グーグルに人を「とられた」「吸い込まれた」という表現が使われる (?) のは、
一度入った人の活動が外にはなかなか見えないから。
それはつまり、個人と社会の関わりを、企業を通したもののみに厳しめに限定しているからではないか。
ネット時代の寵児、っていう見られ方をする Google / グーグルは、
この点においては、社会の一員としての振る舞いがとても古典的なのかもしれない。

コメント

hide2007年11月05日 05:42
どうもです。
こういうこと考えなくもないです-:)
言葉遊びと書いてありますが仕事の定義なのかもしれない。
あと、GoogleはOSSの活動のようなものを、企業内に取り込んでしまっているとも。
これはしゅどうくんもいっているとおりだし、どっかで聞いたこともあります。

会社の経営者として考えれば、
企業活動が社会貢献になればと思うが、なかなかそうはいかない。

Googleが上記のようなことができているのが、
非常にうまいビジネスモデルで効率のよい稼ぎがあるから、
ひとりあたりの時間の使い方に対する、直接的収入の比率が低くて、
結果的にこういうことができるのではないかと思っているし、
そういう作れればいいなぁ〜とは昔から思ってるがなかなかできない自分>無能。
でもGoogleはそれで、あのモデル長くはもたないとも思っている。

あともとの仕事の定義に戻ると、
直接食えるものを仕事と見るのが一般的だが、
1.報酬を得るためにすること
2.社会に貢献することで自分の付加価値(評価)を高める
の2つがあるような気がする。
2は直接報酬に結びつかないけど長期的には1につながると思っている。
結局、その人の所属や地位というのは、2の結果に関係していると思うから。

だから、直接食えない仕事というのも存在していると思うんだけど、
あと、それを個人がやるか、会社がシステムを提供するかという違いもあると思う。
そのどちらもできてない零細経営者の自分がいる>やっぱり無能

そして、しゅどうくんは2がちゃんとできている人という意味でエライと常々思ってるよ。

長文失礼しました〜
2007年11月05日 08:33
それはマルクスの言うところの真に自由な労働って奴ですな.
t22007年11月05日 11:49
こんにちは。私は全く違う観点から、仕事、を見ています。

私はほぼ自給自足に近い農家で生まれ育ちました。基本的に生きていくためだけであれば、貨幣経済と関わりを持つ必要はありません。食料(穀物、野菜、肉類、卵)も燃料(まき)も水(井戸)もすべて身の回りからの調達ですから。

が、固定資産税などどうしても何らかの形で貨幣を生まないと、この日本では暮らしていけないということに気がついたのが小学生の頃。また、電力や嗜好品など、貨幣と交換すると手っ取り早いものも出てきました。

で、仕事とは、そういった目的で消費する貨幣を得るための活動であって、たまたま好きな活動を仕事にできたら幸いと。貨幣を得るための仕事と生命を維持することは、本来はリンクしていないと。まぁ理想論ですけど。

昔読んだスタージョンの「ヴィーナス・プラスX」に、「文明というものは、有害なやり方で、手仕事から、一歩...それどころか二歩、十歩、五十歩も離れて生計を立てるような人間を生み育てます。」という文章を見つけたときには、一人で合点していました。

生命を維持するのに必要なものを、すべて貨幣と引き換えにする生活が問題なのではと思っています。ぶどう狩りや潮干狩り、魚釣りの楽しさの幾ばくかは、食料を調達していると原始的に感じるところにあるのではと思っています。

これから東京で暮らしながら仕事をすることになって、上記のような考えの私は大変不安ではあります^_^;。
NICO2007年11月05日 13:16
このトピックは今の僕には非常に切ないテーマです。

だって取りあえず (2) は忘れて (1) に専念せざる得ない状況ですから。
ここ4年間くらいは「(2) に軸足があったのかも?」と思いますが、
その結果として方向転換を余儀なくされてます。家族を抱えている以上
そこはしょうがない。

そういった状況なので、ふと「僕にとってこの4年間は一体なんだった
んだろうな」と考えたりします。シュドウさんの疑問に良く似ているのかな?
と思ったり… (2) だけを目指しても (1) を自然に達成できると
良いのだけどね。
TAKESAKO2007年11月05日 14:38
自分の場合は趣味と今の仕事がマッチしすぎていて、似たようなことを考えていたり。個人の余暇の研究を20%ルールという名目で会社の仕事と定義してしまうのは個人の精神衛生を保つ上で良い事なのかもしれませんね。
ひろきのだいち2007年11月05日 14:55
頭のよいひとに気軽に「仕事忙しい?」と聞かないほうが
よいということはわかりましたw

なので、逆に仕事忙しい?と聞いた人の心理を考えて見ます。
そのひとはけして、仕事が忙しいかどうかということを聞きたかったのではないのかも
しれません。

かといってプライベートいそがしい?っていうような突っ込んだ話をしたいわけでも無いはずです。

仕事をやらなきゃいけないものという風に捕らえている人にとっては、
「プライベートに時間取れてる?」
といった程度のことであって

仕事= not プライベート

でしかないのかもしれませんし、
職場での活動に充実することや、会社での昇進をギラギラと考えているひとにとっては
「人生、結構充実してる?(いそがしそうにみえるけど)」
見たいな意味合いで、

仕事= 人生を豊かにする活動

という風に捕らえているかもしれません。

そんなわけで
僕の場合は、忙しいか?と聞かれたときに自分自身の感想を付け加えて
話してみます。

仕事忙しい? --めんどくさいことが多いよ
仕事忙しい? --やりたいことが多くてね
仕事忙しい? --いろいろ大変。
仕事忙しい? --・・・つらい・・。

とか。

多様化の時代には言語の定義は不安定で使い勝手の悪いものになるかもしれません。




ナチ2007年11月05日 15:44
goo国語辞典に書いてあった仕事の定義で、

(5)しわざ。所業。
「あの連中の—だといふのだがね/義血侠血(鏡花)」

というのがありましたあせあせ

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BB%C5%BB%F6&kind=jn&mode=0&base=1&row=0

家族やしなうために、お金を稼ぐ仕事もやってきたいですけど、
「こりゃあやつの仕事にちげえねぇ」というような仕事ができるようになりたいです


kibayos2007年11月05日 16:47
ここにおいて、仕事の定義は本質的ではないと考えて。。。

生きるために働くか、働くために生きるか?

自分は後者でありたい。
Makoto2007年11月05日 23:37
私にとっては、(会社勤めでの)仕事は、労働力を提供する代わりに対価を得るための手段でもあり、諸先輩方から技術を学び、会社の力を借りて何事かを成し遂げる(当然成果は組織の内側ではなく外部にある)、そのための手段でもあります。
気持ちは「陣借り」です。
(企業に帰属しているという意識よりも、力を借りて何かさせていただいている、という意識のほうが強い)。
そういう意味では、私にとっては、余暇と仕事という明確な区切りはありませんね。
ukai2007年11月06日 00:44
つい最近、「リナックスの革命 — ハッカー倫理とネット社会の精神」を読みかえしてたんですが、そういう仕事感の変化についてとかも書いてありましたよ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4309242456

ちなみにGoogleは会社としてはOSSの活動は限定してないんですけどね(むしろ他の会社よりはかなり推奨してるんでは?)
シュドウ2007年11月06日 19:27
hide さん

企業の人類社会への貢献って書いたのは、お金の流れを作ることで企業のメンバが食っていける、っていうところまで含めて広く考えてました。なんというか、それだけで充分、社会成立の一翼を担っているわけで。もちろん情報技研も。

eto さん

いい言葉を教えて頂きました。ありがとうございます>真に自由な労働

t2 さん

> 手仕事から、一歩...それどころか二歩、十歩、五十歩も離れて生計を立てるような人間

これは、僕も常々強く感じてます。

 技術フェチ日記 2007/7/18 分
 http://www.shudo.net/diary/2007jul.html#20070718

| 僕らはなぜ、こうしてキーボードをカタカタ叩くことで飯が食えるのか。

その米を食べているあなたは (僕は)、その米を作った人に対して何を提供しているのか?
というような問いに答えることがなかなか難しくなってるなあ、と。

これを考えると、自分の仕事、というか現代人の仕事って、
ジェンガで上の方に積まれたブロックのようだな、と思います。
基本的な衣食住からの距離が遠くて、そこに至るまでの価値の変換パスが、どうにも心もとない。
シュドウ2007年11月06日 19:34
NICO さん

何をするにも、まず食えてこそ、ですもんね。
抽象的に考えると話はシンプルで、
楽しめる (1) にありつく or (1) を楽しむ or (1) 以外の時間とお金を確保する
くらいの選択肢しかないような。
シュドウ2007年11月06日 19:38
TAKESAKO さん

個人の労働も余暇も、ぜんぶ、所属組織の活動 (& 人類社会への貢献) に含めて考えられる、
幸せなケースですね。
僕の前職時代も、時期によってはだけど、近いものがあったように思います。
2005年度とか。
シュドウ2007年11月06日 19:47
ひろきのだいちさん

よく、「仕事」ではなくて、「やること」が多くて尽きない、って言います。
やらなければならないことだけでなくて、やりたいことまでちょいと含めて、「やること」と。

僕の中にはまだ、「仕事」ってのは辛いものであるはずで、楽しいことを仕事と呼ぶのはどこか申し訳ない、っていう考えが残ってるように思います。
シュドウ2007年11月06日 19:59
ナチさん

僕も同じです。
ナチさんにできなきゃ誰にもできないんじゃ。

yos さん

僕はこのくらいです:
生きてるから楽しむ (含 働く)

Makoto さん

僕の前職も、そういう活用のしがいがとてもある組織でした。
いろいろなものを頂いたように思います。
Access Grid、カラオケグリッドなんて、個人ではどうにもならず、
組織のいろんなリソースを使って始めて進む類のプロジェクトでしたし、
予算をとって人を探して雇って開発して...なんてのもいい経験でした。
逆に今は、非常に小さい会社なので、そういうものをいっさい剥ぎ取られた自分(達)という状態です。
これはこれで、すごく貴重な経験だと感じてます。
例えば、実験のための PC 数台の入手、維持に苦労するなんていう、前職では考えられないような状態で、それはそれで、知恵と人の厚意でなんとかしてます。
シュドウ2007年11月06日 20:03
ukai さん

> つい最近、「リナックスの革命 — ハッカー倫理とネット社会の精神」を読みかえしてたんですが、そういう仕事感の変化についてとかも書いてありましたよ。

本の説明:

 ポスト資本主義の精神を分析する。終身雇用、大企業の神話が崩れた社会では、
 自分が何のために働き、何のためにお金を得て、何のために生きるべきかという
 新しい哲学が必要とされている。ハッカーたちが社会に挑戦する動機として、
 何かを新たに作りだすことや、それがもたらす結果を楽しむためなどがある。

探して読んでみます!
ありがとうございます。