米国における大学の社会的役割全体に公開
2007年09月30日03:27
大学のあり方についてその2

米国の大学において「戦後まもなく交わされた社会契約はずたずたになっている」という記事:

 LE MONDE diplomatique 日本語・電子版
 アメリカの大学、作られた財政危機
 http://www.diplo.jp/articles07/0709-3.html

日本の行政方面で言われていることとは逆に、経済的 (& 政治的) な力に左右されないよう自主自立に力を注いできた米国の大学。それが…

今日まさに日本が追いかけているのは、この記事が「大学機関の弱点」と評している点。

コメント

まる2007年10月02日 03:22
>公立大学の予算は、この25年間で3分の1も減額されている。前衛的な研究の拠点となっていたカリフォルニア大学の場合、1990年以降の減額率は40%にのぼる。

そういえば、僕らの学生時代には、stanfordより、berkleyのほうが有名だった気がするのですが。

>アメリカの大学制度の強みとなっていたのは、知識を得る機会を万人のものにしようと望み、自主的な運営を行い、公的な投資に高い価値を認め、社会運動に理解を示し、最先端の研究と公的な教育をつなぐ架け橋となるような、大学のあり方だった。

僕らの学生時代に、目指したのも、結局はそうした大学像だったような気もします。

>それが今日では、富裕層だけが質の高い教育を受けられ、すぐに収益を上げられるプロジェクトに優先的に資金が回され、社会層の分断が際立ち、途方もない出費を必要とする競争が激化し、上位校だけに資金が集中するというように、大学機関の弱点ばかりが目に映る。

これは、今の日本も同じ道をたどっていますね。
社会の「格差」を教育が解消するといった、「菊次郎とさき」的希望は、教育における格差の拡大によって、失われていくでしょう。

僕には、とてもためになった論文でした。