若い人ほど大変?全体に公開
2007年09月22日01:08
情報科学若手の会 (9/15〜17) のまとめセッションで使ったスライドです。
1枚目は、15日のデモと 16日の講演についてのまとめ。
2枚目は、自分より若い二十代の皆様と交流して考えたこと、です。

どーなんでしょーね。

 技術フェチ日記 2007/9/17 (若手の会 3日目)
 http://www.shudo.net/diary/2007sep.html#20070917

コメント

kibayos2007年09月22日 01:48
2枚目はちと悲しい。
でも、うまく反論できない。
大変なのはいつの世代でも同じと思います。
(逆に、いつの世代にも良いことがあった、orあるはず)
sustainableは大事なキーワードだと思います。
おそらく、今は発展から持続へと人類の価値意識が転換する転機なのだと思います。
研究・教育へのしわ寄せ(他にもしわ寄せはあるかと思いますが)は経済成長が鈍化したことによる一時的な現象だと思いたいです。
(持続的な社会において、芸術、学術への寄与はもっと高まるはずだと思うから)
その間に、地球が壊れてしまわないことを祈りたい。
まる2007年09月22日 06:48
二枚目面白かったです。

首藤さんの前後の世代に、優秀な人が多い背景が、ちょっと分かりました。

>ベビーブームのピーク-1973年生まれ
> ・1クラス40人強x4クラスx6学年の小学校。激しい競争

ベビーブームの「ピーク」は、僕らの世代だと思うんですが。
僕は、秋田の田舎の出身なのですが、それでも、1クラス50人強で10クラスありましたから。体育館をベニヤで区切って、臨時の教室を作っていました。中国やインドではなく、日本の話です。

>若ければ若いほど大変?

そうですね。
まあ、でも、たいてい、いつの時代でも、若い人の方が優秀です。一般的な「世代論」ではなく、具体的な「個人史」で考えれば、そのことは自明なはずです。

すこしお願いしたいことがあります。
今度、会ってもらえませんか?

うぃんもすたぁ2007年09月22日 09:06
私も1947のピーク辺りですが、人生に常識があったとは知りませんでした。

いや、でも、二枚目は面白かったです。
私の経験と人生と魂を込めて、第二次の方が優秀です。
シュドウ2007年09月22日 10:13
うぃんもすたぁさん
> 私も1947のピーク辺りですが、人生に常識があったとは知りませんでした。

2枚目のような発想が出てくるあたり、僕の、(子どもの頃から刷り込まれた?) 固定観念を表してるんだろうなー、と自分を振り返ってます。

高校1,2年生の頃は「(近所の) ○○大学へ行って、卒業したら企業にずっと勤めるんだろうなー」って漠然と思ってましたし。

「30代半ばまで任期付き」って文言が出てくるあたり、長期的に1つの定職にとどまることが普通、って考えてきた節もあります。
シュドウ2007年09月22日 10:26
> ベビーブームの「ピーク」は、僕らの世代だと思うんですが。

Wikipedia によると

第一次ベビーブーム:
概ね1947年から1950年(あるいは1949年)の間に起き、日本においては1949年の出生数269万6638人が最多数

第二次ベビーブーム:
日本において1971年から1974年までの人口急増期を指すことが多く、1973年の出生数が209万1983人となりピーク

第一次、尋常じゃない数字です。

> 僕は、秋田の田舎の出身なのですが、それでも、1クラス50人強で10クラスありましたから。体育館をベニヤで区切って、臨時の教室を作っていました。

すごい。。
体育館に割り振られた人は貧乏くじ???
Makoto2007年09月22日 15:37
こんにちは。
興味深く読ませていただきました。
1枚目の「〜をdisってみた」のあたりとか、立場や経験によっていろんな意見がありそうで、面白そうですね。

「人生の定石がなくなった」というお話に関して、
生活の糧を得てゆくためのやりかたとして、「大学入って卒業する前に就職(就社)活動して終身雇用サラリーマンになって安定した収入を得て退職金で食いつなぐ」という方法の土台が崩れてきた、というのは、実感として、そう思います。

最近、学生さんの採用活動の面倒もみるようになって、私より年齢が若い方々のおかれている状況、考えていることについて、いろいろと考えることもありますが、

私個人にとっては、その「人生の定石がなくなった」という変化は、いろいろと面白くなってきたぞ、という感想を持っています。
(人や立場によって意見もいろいろありますけどね、みんな生活かかっているので)

若い人のほうが大変かどうかはともかく、
じゃぶじゃぶの情報の海に手軽にアクセスできて、
先人たちの域に到達するための高速道路がたくさんできたこともあってか、
若い人には、優秀な人が多い(多くあってほしい)、
という気はします。ちょっと妬んじゃうくらいに。笑。
Q2007年09月22日 23:13
職業が安定しているとうれしいかはとりあえずおいといても、
安定させるという選択が出来るというのは
社会基盤として重要じゃないでしょうか。

僕の世代だと親は大企業で安定した生活という夢を子供にも
託したかったみたいで、そのバイアスはすごかったんですが、
今の学生だと親はその意識ないんですかね。
Makoto2007年09月23日 02:49
こんばんは。
Qさんはじめまして。

今の学生さんの親の意識についてはわかりませんが、
(十把一絡げには言えませんが)学生さんの傾向として、安定した生活を希望しながら就職活動に来ている、というのは、見受けられます。彼らは親の世代の苦労を間近で見ているからでしょうか。

...

私も、長期的な見通しで安定感が得られる、ということは、生きてゆく中でとても大切なことだと思います。そして、それが、(大)企業に帰属するという方法だけで得られるだけではなくて、社会的な基盤としてあることが大切だと思っています。(これは技術者に限っての話になるのかもしれませんが)

米国で働いている技術者と話をすると、傾向として、労働手段を自ら所有しており、企業への帰属意識ではなく自らの専門領域への帰属意識が自らのアイデンティティになっている、という感想を持ちます。日本の特に若い技術者のかたにも、そういうかたが多いような気がします(私自身もそういう感覚です)。

これから平均寿命はますます長くなり、一方、企業の平均寿命は短くなり(企業もたくさんでき)、それら組織がますます複雑に絡み合って活動してゆく、という現実のうえで、専門性にアイデンティティを見出す知識労働者(P.F.Drucker氏の言葉)の働き方を考えると、安定感を得る仕掛けが組織横断的に必要になると思っています(政府に頼るという方法だけではなく)。

若い人ほど大変かどうかはわかりませんが、
そういう「定石」を期待して就職するかたにとっては(それ自体がいい悪いの問題ではなくて)、厳しい環境になってきている、という感想を持っています。
kibayos2007年09月23日 08:32
まこぶさん、みなさん、はじめまして。

>「企業への帰属意識ではなく自らの専門領域への帰属意識が自らのアイデンティティになっている」
自分も同感で、これはよい傾向だと思っています。

「立派な会社に就職し、定年まで勤め上げる」が非常に危うい定石であることは、もうみんな気付いていることだと思います。
安定性についても、次の関係が成り立つはず(べき)、と考えています。(もちろん専門性については社会が必要とするものでないといけませんが)

 つぶれない会社で勤めること << 高い専門性を持つこと

ところで、
自分たちの世代(第一次と第二次のまんなか)では、専門性を持ちながらも、就職の良いことをいいことに、給与の高い会社(金融系や放送・新聞)へ就職する連中が多くいました。
この傾向を私の恩師などは大変嘆いていました。
それに、学歴偏重主義があるため、合格してしまうと勉強しない。でも就職できるので、つぶれない会社でそこそこのポストについている者も多くいます。

自分たちの世代ではこういうのが「定石」で、人生をうまくやる1つの方法として認識されてました。
でも、よく考えると寂しい話です。身に着けた技術は世の中に生かしたいと思うのが当然の話で、そのために切磋琢磨してきた訳ですから。

そういう意味では、「新しく定石を創る」という意味で今の世代はやりがいが多いように思います。
kibayos2007年09月23日 14:55
(訂正)
まこぶさん、はじめまして、じゃなかったですね。
overlay-jaで有益な意見をいただいてました。m(__)m