ハッカー養成塾! -- ハック教を切り刻め

首藤 一幸

注: このページの文章はオープンソースマガジン 2006年6月号 (2006年 5月発売) に掲載された以下の記事の元原稿です。 編集部の了承の元に、本ウェブページに掲載しております。
首藤一幸, "ハッカー養成塾! -- ハック教を切り刻め", オープンソースマガジン 2006年 6月号, pp.114-115, ソフトバンククリエイティブ(株), 2006年 5月 8日

他の方の原稿



甘い言葉には気をつけよう。社会を生きる上での基本のひとつです。 甘美な言葉に酔うと危険に対して鈍くなってしまうよ、という警告です。 さて、「ハッカー」。 尊敬を込めてそう呼ばれるその道の導師。 なんとも甘美な響きではないですか。 ここにはきっと危険があります。

ハッカー礼讃自画自賛

「○○さんはすごいですね」と言われて「ええ、間違いなくすごいです(えっへん)」 と応える社会人はいません。 「とんでもございません。わたくしなどは…」 と、謙遜くらいするものです。 「○○さんはハッカーですね」と言われたら 「いえいえわたくしなどは社会不適合者で…」と謙遜しておくに限ります。 しかしこの謙遜によって、言外にもうひとつの考えを露呈することともなります (*1)。 ハッカーとは素晴しいものである、という価値観です。

(*1) 私の尊敬するハッカーは、ハックやハッカーが何であるかは述べても、 それが素晴しいことであるか否かには積極的には言及しません。 ゆえに、こういった謙遜もあまりしません(?)。

ハッカーをそれと認めるのは、同業者です。 ソフトウェアハッカーをソフトウェア技術者ではない者が それと認識することは困難です。 つまり、ハッカーであると称賛する側もされる側も同業者となります。 同業者どうしの称賛は、やがて個人間から組織的なものに発展します。 例えば、映画業界であればアカデミー賞、プロ野球であれば名球会がそれです。 こういった組織や賞はその業界自身のために設けられており、 業界の権益拡大や、 業界が素晴しいものであることを外部にアピールするといった機能を果たします。 しかしともすれば、業界の外からはこうも見えます。 仲間うちで自分達を称賛している、名誉を与え合っている、と。 同様に、ハッカー礼讃も、外から見れば、内輪の自画自賛です。 自分達の業界や技芸が素晴しいものである、偉大なものである、と 自画自賛しているわけです。 自画自賛や内輪ノリはスマートな態度ではないので、 注意深く行った方が身のためです。

ハック教を切り刻め

相互承認で成り立つ組織にも、自然と権威と教義が生まれます。 ハック界というものがあったとして、そこでの権威、特に精神的な支柱は Eric RaymondやPaul Grahamでしょうか。 Richard M. StallmanやLinus Torvaldsを挙げる方もいるかもしれません。 また、国内の権威は誰?と問われれば、 誰しも2、3人の名前は思い浮かぶのではないでしょうか。 自由な心、反権威主義を信条とするはずのハッカー業界にも、 確実に権威はいます。

江渡氏 (*2) によれば、ハックとは「常識を切り刻むこと」だといいます。 であるなら、Eric RaymondやPaul Graham、その他権威の教えは 切り刻まれねばなりません。 すでにいろいろな教えがあるようです。

(*2) 江渡浩一郎氏。芸術家かつハッカー。2006/5号の講師。
他人の書いたソースコードを読んで勉強せよ

読むと学ぶことが多いのは確かです。 しかし、時間を持て余しているなら別ですが、 学ぶことだけを目的として読むなんてことはしなくてよいのではないでしょうか (*3)。 それよりは、機能の追加や変更、移植など明確な目的を設定して、 必要に迫られて読む方が身に付くことはずっと多いです。

(*3) OSやコンパイラは別かもしれません。
オープンソースソフトウェア(OSS)の開発プロジェクトに貢献せよ

貢献してください。私も賛成です。 しかしハッカーにとって「貢献」は第一の目的、 ましてや行動原理ではありません。 知的好奇心や技術への熟達といった極めて私的な動機で行動してこそ 非常に高いレベルまで到達できる、と私は信じています。 貢献の先に得られる賞讃や名誉、何かしらのご褒美を目的としても 別にいいのですが、それならOSS開発は割が悪いです。 OSS開発に貢献することがハッカーの条件である、とか煽っている人は、 人をOSS開発に巻き込みたいだけなんです。

OSS関係のメールリストでよくある問いのひとつに、 何か貢献したいのだけど何をすればいいか?というものがあります。 人材は貴重な資源ですし、○○を読んで勉強するといい、といった 親切な返答が返されることもあります。 しかし読み手の多くは内心で、やることは自分で探せ、と思ってます。 貢献そのものが目的であるこういった参加者からの貢献は、 どうしても、私的、直接的な動機を持っている参加者からのそれに及ばないことを、 先達は知っています。

オープンソースなUNIX系OSを使え

これは単に、そうすることで、早く、よりよく熟達できる、 という先達からのアドバイスです。 しかし場面によっては、Windows系OSを使う人はハッカーではない、 といったように教義として解釈されてしまっていることもあります。

○○ユーザグループの活動に参加せよ

○○という共通の技術的興味を持つ者どうしの交流は、 大変有意義なものでしょう。 ここで注意したいのは、ユーザグループという言葉の意味です。 すなわち、使う人の会、です。 使うことがすなわちハックである場合を除いて、 一般には、使うだけで終わる人はハッカーではありません。 ただしユーザ会にハッカーが集まっていることもあるとのことです。

ハッカーとクラッカーを区別せよ

クラッカーは破壊者、侵入者であり、 高い技能と精神を持つハッカーと混同するなという運動がありました。 私も大賛成です。 しかし外から見れば、ハッカー礼讃は内輪の自画自賛でしかないので、 区別せよ運動も、プライドを傷つけられて腹を立てている気難し屋が発する 不平不満に見えがちです。

ハックは芸術 (*4) である

心地よい甘美な言葉なので、要注意です。 人類のあらゆる行為について言われていることでもあります。 バッティングは芸術である。 ハム作りは芸術である。 教育は芸術である。 誰しも自分達の技芸を芸術、アート(という名の格好いい何か)と呼びたがり、 部外者の多くはそれに首をかしげます。 これはやはり、外から見れば自画自賛です。

(*4) Paul Graham氏は「ハッカーと画家」というエッセイで、 ハッカーと芸術家の類似性を指摘しています。
ニックネームではなく実名で活動せよ

実名で活動するということはその結果に自らのアイデンティティを懸けるという 覚悟のあらわれであり、その覚悟がよい成果と他者からの信用につながる、 と私は信じています。 しかし、私が尊敬するハッカーの中にはニックネームで活動している方も 少なくありません。 特に、昔のPCやゲーム機のエミュレータ、ゲームを開発しているハッカーに多いです。 彼らがニックネームで活動する理由は合理的に思われ、 そのことで尊敬が損なわれることはありません。

普通のやつらの上を行け (*5)

この言葉は「私はLispが大好きだ」という意味であり、 Lisp系言語を愛用していない人に対する煽り (*6) です。

(*5) Paul Graham氏によるエッセイの題。
(*6) 挑発。
本物のプログラマはPascalを使わない

この言葉はPascal (*7) を使わせたくない人による策略であり、煽りです。

(*7) 教育用ということにされた手続き型言語。 参照渡しや手続き内手続きなど、C言語にはない概念を持つ。
BASICでプログラミングを学ぶとろくなプログラマにならない

BASIC (*8) でプログラミングを始めた私としては煽りだと思いたいところです。

(*8) 手続き型言語。 構造化プログラミングが困難であることから、 ろくなプログラマを産まないとされてきた。

ハッカー養成塾!を切り刻め

ハッカー養成塾!の執筆者は、他の誰かからハッカーだと思われているという点で、 すでにある意味エスタブリッシュ層 (*9) であり、 ここでエスタブリッシュ層と書いた私は 単にエスタブリッシュ層という言葉を遣いたかっただけです、ええその通りです。 それはともかく、執筆者たちは、仲間うちで 執筆者という名誉(?)を与え合っています。 反権威主義がハッカーの信条であり、 ハックとは常識を切り刻むことであるならば、 エスタブリッシュ層である執筆者達こそ、 疑われ、切り刻まれるべき存在であるということになります。

(*9) 梅田望夫氏がウェブ進化論という書籍の中で多用した言葉。 establishment(権力階級)の和訳だと思われる。

つまり、ハッカー養成塾!の内容を鵜呑みにしたり、 執筆が素晴らしいことであるかのような 「わたくしなどが書くのはおこがましい」 といった態度がすでにハッカー的ではないのです。 エスタブリッシュ層が言うこと、つまりハッカー養成塾!の内容、 例えば、この記事で私が言っていることを切り刻むことが ハッカーとしてのあるべき態度であると言えるでしょう。

次回の執筆は、ハッカーでありながらアカデミックにも大活躍されている 千葉滋先生にお願いします。